U.N氏 生活史・現病歴 S33.8.3福岡市城南区茶山にて修悠館教頭(父)と音楽教員(母)の間に第二子の長女として出生。本氏が小学生の時、教員と家庭の両立に疲れている母を心配した父が、母の実家の近くの福岡市城南区樋井川に家を建て引っ越ししたが、その後離婚した。まもなく本氏の父が再婚し、西区拾六町で家を建て、以後は本氏の実家として生活した。中学校、筑紫女学園、龍谷大学(京都)を問題なく卒業し、その後は西区拾六町の実家を拠点に趣味の旅行やアルバイト等をして生活した。26歳の時に現在の夫と結婚し早良区原の賃貸にて生活した。27歳(S62.2.6)長男を出産し西区拾六町の実家で0歳3か月まで育てていたが、アルコール依存症に関連した夫の入院、睡眠不足等で精神的に疲弊し、「東京から呼ばれている」と思い込むようになり、子を実家に置いて無断で東京へ行き、精神疾患を疑った父が東京から連れ戻し、そのままS62年5月頃、油山病院へ強制入院させた。退院後も、ふらつき、パーキンソン症状による不快感、物の紛失を夫のせいにするなど喧嘩などが絶えず、入退院を繰り返した。H11年3月の油山病院退院が最後の入院歴であった。夫の意向で西新の精神科クリニックに通院先を変更し、そのクリニックが閉院したため城南区茶山の中庭メンタルクリニックに変更した(時期不明)。そこで薬物調整(減薬)を行い、長男が中学生になる頃(H12〜)には安定した生活が送れていた。H18腸閉塞を起こし、自宅から救急搬送され、福岡記念病院にて開腹Ope(腸切除)を受けた。その際向精神薬をすべて断った影響で多弁・興奮状態になったが服薬再開後すぐに落ち着いた。H25年頃、薬物調整中、突然薬をすべて飲まなくなり、幻聴、興奮、大声、不眠、物を投げる、物をなくす、いきなり家族に罵声を浴びせる等の症状が続き、家族の勤務に影響がある為、H27長男が家を出た。H29年頃?夫も家から追い出される形で家を出て、本氏は独居となった。当時年金で生活していたことから、家賃が払えなくなり、本氏への長男による説得の上、福岡市南区平和のアパートに引っ越し後、長男が近居し様子を見ていた(家猫を飼っていたが引っ越し先で飼えないため他所へ引き取ってもらった)。その後も怠薬が続き、上記症状が断続的に現れ、自宅外で警察に通報されたり、周囲の住民からクレームが相次ぎ、不動産管理会社より退去を求めら、更なる引っ越しを余儀なくされた。H30.12福岡市南区柳河内に引っ越し後、近居する長男が様子を見ていたが、家族の経済的困窮により面倒が見れず、生活保護へ切り替えることになった。その後も精神状態が悪く、訪問看護師に罵声を浴びせたり、物を投げたり、頻回に障がい者手帳やお金を紛失し、交番へ「こたつにハンカチが落ちてたから、正昭が盗んだ」「息子が盗んだ」「訪問看護師が盗っていった」と激高して訴え、居座り、離れないことが続いた。なお、あんしんサポートやこまめな出金を強く拒否されており、家族も頻回の警察からの連絡に疲弊する状況にあった。今回、現金紛失した7万5千円が初めて見つからず、生活できなくなり、入院相談することとなった。H25よりほぼ怠薬している状況。