「退院支援における“本人の声”の軽視を問う」 退院支援において、患者本人の意思が軽視され、家族や医療者の判断が優先される場面が多い。 退院支援とは、入院患者が生活の場に戻るための医療的・社会的・心理的支援を指す。特に精神科領域では、本人の回復力と生活意欲をどう引き出すかが鍵となる。 果たして、本人の意思を確認しないままの「安全な退院支援」は、倫理的に正しいといえるだろうか。 確かに、認知症など判断能力の低下が見られる患者に対しては、保護的支援が求められる。しかし、だからといって全ての決定を家族や医療者の手に委ね、本人の「選ぶ力」を無視するのは本末転倒である。 以前、ある患者が退院後の暮らしについて語ろうとした際、「今はまだそんな話をしなくていい」と制された場面に立ち会った。本人は明らかに失望し、以降は口数が減っていった。 私たちは「本人の選択に寄り添う」姿勢を持つべきである。それは、患者が主体性を取り戻すリハビリそのものであり、精神的回復を促す大切な一歩となる。 この問題を解決する方法として、退院前カンファレンスへの本人参加を基本とし、困難があってもアドバンス・ケア・プランニング(ACP)のように対話を継続する仕組みを導入すべきである。 米国の退院支援の研究では、本人が関与した退院計画群は非関与群よりも再入院率が30%低かった(Health Affairs, 2013)。また、カントは「人間は手段ではなく目的として扱われるべきだ」と述べている。 もちろん、すべての意向が現実的とは限らず、家族や支援者との調整に時間を要することもある。しかし、それを理由に排除するのではなく、“ともに悩む”プロセスこそ支援の本質だと考える。 本人の声なき退院支援は、どれほど安全でも未完成であると考える。看護師として、選ぶ力に寄り添う支援こそが、患者の尊厳と回復を真に支えると私は信じている。